なぜ夏は消化力が落ちるのか?アーユルヴェーダで読み解く、夏の食べ方

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ターメリック・コリアンダー・シナモンの粉が入った3つの器
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夏になると、食欲がふっと遠のく。冷たいものばかりを選んでしまう。食べたあとに、なんとなくお腹が重い。
この季節に、そんな感覚を覚えたことはないでしょうか。

「暑いから仕方ない」で片づけてしまいがちですが、アーユルヴェーダという古い体系は、この現象をもう少していねいに説明してくれます。手がかりになるのは、「アグニ」という考え方です。

インドで長いあいだ受け継がれてきた知恵は、日本の夏をどんなふうに照らしてくれるのでしょうか。今回は少し時間をとって、夏の食べ方をゆっくり見ていきます。

目次

消化を、火にたとえてみる

アーユルヴェーダでは、消化のはたらきを「アグニ」と呼びます。サンスクリット語で、火のことです。

食べたものをからだが使える形に変え、いらないものを外へ送り出す。その一連のはたらき全体を、ひとつの火として捉える。それがアグニという見方です。

火は、大きすぎても小さすぎても具合がよくありません。薪をくべすぎれば煙が出るし、風が強すぎれば消えかける。ちょうどよく燃えているとき、食べたものは静かに力に変わっていく——アーユルヴェーダは、そんなふうに消化を眺めます。

そしてこの火は、季節や時間帯、その日の体調によって強さを変えると考えられています。つまり、一年じゅう同じ食べ方をしていればいい、というものではないのかもしれません。

季節によって変わる消化の火(アグニ)のイメージ図
アーユルヴェーダでは、消化のはたらきを「火」にたとえます

火が小さいとき、からだはどう感じるか

アーユルヴェーダの古典では、火が弱まっているときのサインとして、こんなものが挙げられます。

  • 食後に、重さがしばらく残る
  • 眠気が長く続く
  • 朝、舌にうっすら白いものがついている
  • お通じのリズムが、いつもと違う
  • とくに理由もなく、だるい

アーユルヴェーダでは、こうした感覚を「アーマ(消化しきれずに残ったもの)」が溜まりかけている合図として見ます。病気の名前ではなく、あくまで火加減の目安として。だから、当てはまったからといって心配しすぎる必要はなさそうです。ただ、からだが何か言っている、という程度に受け取っておく。

なぜ、夏に火は小さくなるのか

アーユルヴェーダでは、夏は「ピッタ」という性質が高まりやすい季節とされています。ピッタは熱や変換に関わるはたらきで、外の気温が上がるほど、からだの内側にも熱がこもりやすくなる、という見方をします。

ところが、ここに逆説があります。外が暑いのに、消化のための火はむしろ小さくなりやすい。

暑いとき、からだは熱を外へ逃がすことに手いっぱいになります。皮膚の近くに血の流れが集まり、汗をかき、体温を保とうとする。その分、内臓のほうへまわる余力が減っていく。現代の生理学でも、暑さのなかでは消化管への血流が減りやすいと説明されることがあります。古い言葉と新しい言葉が、同じ場所を指しているようにも見えます。

アーユルヴェーダは、これを「外の火が強いとき、内の火は控えめになる」と表現します。夏バテという言葉で私たちが呼んでいるものの一部は、この小さくなった火のことなのかもしれません。

冷たいものが、火をもう一段小さくする

氷の入った飲みもの、そうめん、アイスクリーム。暑い日にそれらを欲しくなるのは、とても自然なことです。からだが熱を下げたがっている。

ただ、アグニという見方に立つと、冷たいものは火に水をかけるようなはたらきをすると考えられています。もともと小さくなっている火に、さらに水がかかる。夏の後半になるほど食欲が落ちていく感じがあるとしたら、そういう積み重ねも関係しているのかもしれません。

とはいえ、冷たいものを完全にやめましょう、という話ではありません。この暑さのなかで、それはむしろ無理があります。大事なのは、量とタイミングと、その前後に何を添えるか。そのあたりは、後半でもう少し具体的に見ていきます。

日本の夏は、インドの夏とすこし違う

乾いたインドの夏と、湿りを含んだ日本の夏を比べた図
同じ「夏の養生」でも、土地の空気に合わせて読み替えたいところです

ここで、ひとつ立ち止まっておきたいことがあります。アーユルヴェーダはインドで生まれた体系だということです。

インドの夏、とくに雨季前の四月から六月は、乾いた酷暑です。汗はかいた端から乾いていき、水分がどんどん外へ逃げていく。だから古典の夏の養生には、水分と甘みをしっかり補うという方向の教えが多く見られます。

いっぽう日本の夏は、梅雨からひと続きの、湿りを含んだ暑さです。汗は肌にとどまり、なかなか乾かない。空気そのものが重い。

アーユルヴェーダの分類でいえば、湿った重い空気は「カパ」の性質に近いとされます。つまり日本の夏は、ピッタの熱と、カパの重さが同時にやってくる季節と読むこともできそうです。だるさと、むくみと、のぼせが一緒にくるような、あの感じ。

だとすると、古典の教えをそのまま持ってくるのではなく、いま自分が立っている土地の空気に合わせて読み替える必要がありそうです。日本の夏なら、「冷やしすぎない」ことと「重くしすぎない」こと。このふたつを、同時に。

いまの火加減を、確かめてみる

理屈より先に、いまの自分がどのあたりにいるのかを見てみるほうが早いかもしれません。ここ一週間ほどを思い出しながら、当てはまるものを数えてみてください。

 ここ一週間のこと
1朝、お腹が空いた感じがないまま一日が始まる
2食べたあと、二時間くらい重さが残る
3冷たい飲みものを、一日に何杯も飲んでいる
4食事の時間が、日によってばらばらになっている
5夜のごはんが、二十一時を過ぎることが多い
6起きたとき、舌にうっすら白いものがついている
7手足がむくむ、あるいは体が重だるい
8甘いものや冷たいものを、なんとなく手が伸びて食べている
0〜2:いまの火加減は、わりと穏やかそうです / 3〜5:火が小さくなりかけているのかもしれません / 6〜8:まずは「昼にしっかり、夜は軽く」から見直してみる余地がありそうです

もちろんこれは診断ではなく、ただの目安です。数が多かったからといって、何かが悪いわけではありません。ただ、数えてみることで「そういえば最近そうだった」と気づけることがある。その気づきのほうが、たぶん役に立ちます。

一日のなかにも、火のリズムがある

アーユルヴェーダでは、消化の火は太陽と連動して動くと考えられています。太陽がいちばん高く昇るころ、からだの内側の火もいちばん高まりやすい。

一日のなかで変化する消化力のリズムを示した図
太陽が高いころ、からだの火も高まりやすいとされています

この考え方に沿うなら、一日のうちで最もしっかりした食事は昼に置くのが自然、ということになります。朝は軽やかに、夜は早めに、控えめに。

日本の暮らしのなかで、これをそのまま実行するのは簡単ではないかもしれません。昼はデスクで簡単に済ませ、夜にようやくちゃんとしたものを食べる。そういう一日を過ごしている方は多いはずです。

それでも、たとえば週に二日だけ昼を厚くしてみる。あるいは夜のごはんを三十分だけ早めてみる。全部を変えなくても、リズムのほうへ少し寄せるだけで、朝の感じが変わることがあるようです。

「腹八分目」の、残りの二分について

アーユルヴェーダには、胃のなかを三つに分ける考え方があります。半分を固形のもので、四分の一を液体で満たし、残りの四分の一は空けておく。火が燃えるには、空気の通り道が要るから、という説明です。

日本でいう「腹八分目」と、ずいぶん似ています。離れた土地で、似た結論にたどりついている。残りの二分は、我慢のためではなく、火のための余白なのかもしれません。

冷たいものとの、ちょうどいい距離

木のテーブルに置かれた水のグラス
冷たいものをやめるのではなく、まわりに温かさを少し置いておく Photo by Janosch Lino / Unsplash

では実際のところ、どうすればいいのか。極端にせずにできそうなことを、いくつか並べてみます。

  • 氷を、一段だけ減らす。冷蔵庫から出して少し置いてから飲む、というだけでも違いがあるようです
  • 食事中に、大量に飲まない。のどが渇いたら、食事と食事のあいだに少しずつ。食べながら流し込むのは、火を消しやすいとされています
  • 冷たいものには、温かいものを添える。そうめんのつゆを温かくする、薬味を多めにする。それだけでも、印象が変わります
  • 朝の一杯を、白湯にしてみる。一日のはじめに温かいものを通しておくと、その後の感じが違う、という声はよく聞きます

どれも、我慢の話ではありません。冷たいものを楽しみながら、そのまわりに温かさを少しだけ置いておく。そういう配分の話です。

火を助けてくれる、台所のもの

小皿に分けられたクミンやコリアンダーなどのスパイス
クミン、コリアンダー、フェンネル。台所にあるものから Photo by Marek Studzinski / Unsplash

アーユルヴェーダの食養生では、いくつかのスパイスが消化を助けるものとして親しまれてきました。

  • クミン:香ばしく、少量でも存在感がある。炒めものやスープに
  • コリアンダー:熱をこもらせにくいとされ、夏に向くと言われることが多い
  • フェンネル:インドでは食後にそのまま噛む習慣もあるほど、身近なもの
  • 生姜:日本の台所にも、もともとあるもの

この三つ——クミン、コリアンダー、フェンネル——を同量ずつ、湯に入れて数分おいたものは「CCFティー」と呼ばれ、家庭でよく飲まれています。特別な道具は要りません。小さじ半分ずつをカップに入れて、湯を注ぐだけ。

ところで、日本にも似た知恵があります。冷やし中華の紅生姜、そうめんのみょうがや大葉、刺身のわさび。冷たいもの、生のものには薬味を添える。誰に教わったわけでもなく、私たちはそうしてきました。アーユルヴェーダを学んでいて面白いのは、こうして自分の食卓に元からあったものの意味が、あとから見えてくることかもしれません。

※ 妊娠中の方、持病のある方、お薬を飲んでいる方は、スパイスの量について念のためかかりつけの方にご相談ください。ここに書いているのは、あくまで日々の食卓の話です。

同じ夏でも、感じ方は人それぞれ

同じ部屋にいても、暑がる人と、冷房で震えている人がいます。アーユルヴェーダは、この違いを「ドーシャ」という枠組みで見ます。占いでも性格診断でもなく、からだの傾向を三つの方向から眺めるための道具です。

ヴァータ・ピッタ・カパそれぞれの夏の過ごし方をまとめた図
どれかひとつではなく、いくつかが重なっていることのほうが多いようです

読んでみて、「どれかひとつが自分だ」と決める必要はありません。多くの場合、いくつかが重なっています。むしろ、いま自分に強く出ているのはどれだろう、という見方のほうが役に立ちそうです。

冷房のなかで冷えているのか、熱がこもってのぼせているのか、湿気で重くなっているのか。同じ「夏の不調」でも、いま起きていることが違えば、してみることも違ってくるはずです。

食べたあとの、すごし方

意外と語られないのが、食べ終わったあとの時間です。

アーユルヴェーダでは、食後すぐに横になることも、すぐに激しく動くことも、あまり勧められません。火が仕事をしているあいだは、そっとしておく。座って、少し話をして、それから立ち上がる。そのくらいの静けさがちょうどいい、とされています。

インドには「食後に百歩あるく」という言い伝えがあるそうです。日本にも、似たような言葉があります。距離ではなく、急に動かず、けれど止まりきらない。そのあいだのどこか、ということなのでしょう。

夏の夕方、日が傾いてから少しだけ外を歩く。それは消化のためというより、一日の熱をからだから静かに逃がす時間なのかもしれません。

おわりに

夏の不調は、たいてい「暑さのせい」でひとくくりにされます。それは間違いではないけれど、そこで話が終わってしまうと、できることが何もなくなってしまう。

アーユルヴェーダという古い体系を通して眺めてみると、消化の火という一本の軸から、季節も、時間も、体質も、ゆるやかにつながって見えてきます。何千年も前の人たちが、日々の食卓を見つめながら組み立ててきた枠組みです。そのまま正解として受け取る必要はないけれど、自分のからだを眺めるためのレンズとしては、なかなかよくできているように思います。

いろいろ書いてきましたが、全部を試す必要はありません。もし何かひとつだけ選ぶとしたら——明日のお昼ごはんを、いつもより少しだけしっかりめに、そして少しだけゆっくり食べてみる。そのくらいから始めてみるのは、どうでしょうか。

この夏、あなたの内側の火は、いまどんな大きさで燃えているでしょうか。

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