『エデンの東』に連れられて、サリナスへ

ESSAY

写真は、ほとんど残っていない。

カメラを持っていなかったわけではない。たぶん、その時は撮ることまで頭が回らなかった。『エデンの東』の舞台になった土地に来た、というだけで十分に忙しかったのだと思う。

サリナス、モントレー、カナリー・ロウ。

ずいぶん前の旅なのに、なぜか土地の感じだけは残っている。

一冊の本に連れられて、実際の場所まで行ってしまった旅の話。

目次

写真のない旅

サリナスまで行ったのに、写真がほとんどない。

今だったら、町に着く前から撮っている気がする。道路、標識、ホテル、朝ごはん。たぶん駐車場まで撮る。

でも、その時はそうならなかった。

景色を見て、『エデンの東』で想像していた土地と重ねて、「ここなのか」と思う。それだけでかなり忙しかった。

だから残っているのは、写真よりも妙な感覚の方だ。

乾いた空気だったとか、道が広かったとか、光が強かったとか。

細かいことは忘れているのに、土地の感じだけが残っている。

旅の記憶というのは、案外そんなものなのかもしれない。

『エデンの東』に連れられて

きっかけは『エデンの東』だった。

家族の話なのだけれど、きれいな家族の話ではない。

親に愛される人と、うまく愛されない人。同じ家に生まれても、同じようには育たない兄弟。人は生まれや血筋にどこまで左右されるのか。そして、そこから別の人間になれるのか。

読んだあとも、そういうことがずっと残る小説だった。

National Steinbeck Centerに展示されている、執筆するスタインベックの彫像
National Steinbeck Center内の展示(執筆するスタインベックの彫像)

そして、なぜそうなったのかはよく分からないけれど、サリナスを見たくなった。

本に出てきた町を見たところで何が分かるのか。

たぶん、何も分からない。

それでも行きたい。

文学には、時々そういう困った力がある。

西海岸を北へ

サリナスだけを目指してアメリカまで行ったわけではない。

ロサンゼルスから車で北へ向かい、途中でヨセミテにも寄り、サンフランシスコ方面へ抜ける旅だった。

その途中にサリナスとモントレーを入れた。

とはいえ、気持ちの上ではかなり重要な寄り道だった。

地図の上では小さな点でも、本を読んだ人間にとっては妙に大きな場所というものがある。

サリナスへ

そしてサリナスに着く。

当然なのだけれど、普通の町だった。

キャルもアロンも歩いていないし、アダム・トラスクの家がそのまま残っているわけでもない。

そりゃそうだ。

小説の中でずいぶん大きくなっていたサリナスと、目の前にある町との間には、少し距離があった。

でも、その距離が面白かった。

物語の舞台に行けば、小説の世界に近づけるのだと思っていたのかもしれない。

実際には逆で、「小説は小説なんだ」と分かる。

それでも、ここからあの物語が生まれたのか、と思うだけで十分だった。

National Steinbeck Center|サリナス スタインベックの作品と生涯をたどる文学館。訪問情報や開館時間はこちら。 National Steinbeck Center 映画『エデンの東』(1955)|ジェームズ・ディーン スタインベックの小説をエリア・カザンが映画化。ジェームズ・ディーンはキャル・トラスクを演じた。 Wikimedia Commons|Public Domain ジェームズ・ディーンの墓|Fairmount, Indiana 故郷フェアマウントのPark Cemeteryにある墓所。今も多くの人が訪れる。 Wikimedia Commons|Public Domain

モントレー、カナリー・ロウ

モントレーやカナリー・ロウにも行った。

スタインベックゆかりの場所も、できるだけ回った。

カナリー・ロウは、作品の中で想像していた場所とはかなり違って見えた。

観光地になっている。

まあ、何十年も経っているのだから当たり前である。

けれどスタインベックが書いていたのは、もっと働く人たちに近い町だった。工場があり、移民がいて、裕福ではない人々の生活があった。

モントレーの海沿いに残る建物
モントレーの海辺
モントレー、カナリー・ロウの通りとカナリー・ロウ・カンパニーの看板
現在のカナリー・ロウ
現在のモントレー・キャニング・カンパニーの建物
現在のモントレー・キャニング・カンパニーの建物
缶詰産業が盛んだった頃のモントレー・カニング・カンパニー
缶詰産業が盛んだった頃のモントレー・カナリー・ロウ
缶詰工場の町から、現在のカナリー・ロウへ 漁業と缶詰産業で栄えた通りの歩みを、写真と年表でたどれます。 Cannery Row

『エデンの東』を追いかけて来たはずなのに、カリフォルニアを走っていると『怒りの葡萄』のことも思い出す。

スタインベックは、家族だけでなく、土地を失う人や働く人、移動せざるを得ない人をずっと見ていた作家でもある。

実際の土地に来ると、そのことが少しだけ具体的になる。

写真に残っていないもの

写真は少ないのに、残っているものはある。

建物の名前や正確な順路ではない。

空気の乾き方とか、道の広さとか、光の強さとか。

そういう、旅行記にはあまり役に立たなそうなことばかりだ。

年月が経っているので、記憶だってきっと少しずつ変わっている。

だからこれは、正確な旅程を再現する記事ではない。

今も残っているものを、残っているまま書いている。

写真に撮らなかったから覚えている、というほど単純ではないと思う。

ただ、その場では見ることで精一杯だった。

それは確かだった気がする。

「推し活」という言葉ができる前から

今なら、こういう旅は「聖地巡礼」と呼ばれるのだろう。

もっと広く言えば、「推し活」なのかもしれない。

けれど、

「推し活」という言葉ができる前から、人は好きなものに人生を動かされてきた。

好きな作家の町へ行く。

映画を見て、そのロケ地へ行く。

音楽を聴いて、その人が暮らした街を歩く。

よく考えると、かなり面倒なことをしている。

でも、好きなものというのは時々、人を本当に動かしてしまう。

サリナスも、そうして人生の中に入り込んできた町のひとつだった。

本の中の土地へ行く

サリナスへ行ったことで、『エデンの東』がもっと深く理解できたのか。

そこは、よく分からない。

ただ、本を開くと「ここまで行ったんだよな」と思う。

それだけで、本との距離は少し変わった。

作品の舞台へ行くことに、特別な意味が必要なわけでもないのかもしれない。

好きだから行く。

行ったら、ちょっと面白かった。

そして何年経っても、まだ覚えている。

旅としては、それで十分なのだと思う。


Vayu Journey「聖地巡礼の旅」では、これからも文学や映画、音楽に連れられて訪れた土地を、少しずつ辿っていく。

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