旅に出るという選択

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都会を離れて、しばらく別の土地で暮らす。その時間は、旅行なのか、それとも生活なのか。旅に出るという選択の意味を考えます。

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旅、と聞いて思い浮かぶのは、駅や空港、知らない町の風景かもしれない。限られた日数で名所をめぐり、おいしいものを食べて帰る。それも旅だ。

けれど、三か月、半年、一年と、別の土地で暮らしてみることもある。

知らない町を上から見渡した風景
上から見れば、知らない町も静かにそこにある。

部屋を借りる。食料品を買う。洗濯をする。働いたり、学んだり、何かを習ったりする。最初は何もわからなかった町に、いつもの道や店ができていく。楽しい日ばかりではない。退屈な日も、うまくいかない日もある。

そこには、観光とはちがう時間が流れています。だとしたら、それはもう旅ではなく、ただの生活なのでしょうか。

目次

人は、ずっと動きながら生きてきた

人類の歴史は、そのまま移動の歴史でもある。アフリカで生まれたホモ・サピエンスは、長い時間をかけて世界中に広がっていった。もちろん、今の私たちの旅の気分を、そのまま昔の人に重ねることはできない。初期の移動には気候や食べ物を求める事情が絡んでいたと考えられていて、詳しい理由には今もわからない部分が多いようだ。

人類はいつ、どのようにアフリカを出たのか初期の人類の移動について解説しています。ロンドン自然史博物館

そのあとも人は、商い、信仰、学び、仕事のために道を行き来してきた。シルクロードと呼ばれる陸と海の道では、品物だけでなく知識や技術、言葉、宗教も一緒に運ばれていった。

シルクロードについて陸と海の道を通じて運ばれた、品物と知識の交流についての解説です。ユネスコ

日本の江戸時代には、伊勢参りや湯治、名所をめぐる旅があった。お参りに出かけた人が、道中の見物や土地ごとの食べ物を楽しむ。旅は、日常からちょっと離れる時間でもあったのだ。

江戸時代の旅について伊勢参りや湯治など、江戸時代の旅の実態を紹介しています。国立歴史民俗博物館

もちろん、歴史上の移動をすべて同じ「旅」と呼ぶことはできない。仕事を求めて移ることもあれば、望まず故郷を離れざるを得ないこともある。その違いを消さずに、それでも人が自分の意志で「別の場所へ行ってみよう」と決めるとき、何を求めているのか。そこを考えてみたいと思います。

旅の理由は、立派でなくていい

知らないものを見たい。何かを学びたい。誰かに会いたい。

旅の理由には、そういう言葉がよく似合う。でも、今いる場所から離れたい、という理由もある。仕事に区切りをつけたかったり、毎日の中で考えが行き詰まったり。ただしばらく、違う場所で朝を迎えたかったり。

若いころの旅は、逃げるような旅であることが多いのかもしれません。今いる場所がしんどくて、とにかくここじゃないどこかへ行きたかった。それでいい。逃げた先で出会った景色や人が、結局その人をどこかへ運んでいくことがある。逃げることは、悪い旅の始め方ではない。

道を走るバン
行き先を決めずに、走り出すことがある。

旅行の動機を調べた研究でも、目新しさや学びのほかに、日常から離れること、休息、人との関係が挙げられている。旅人をきれいに分類できる答えではないけれど、旅の理由が一つではないと考える手がかりにはなる。

旅行動機に関する研究旅行者の動機を分類した、旅行学の初期の研究です。Crompton, Annals of Tourism Research, 1979

行き先に呼ばれるように出かけることもあれば、今いる場所に背中を押されて出かけることもある。どちらが正しいというものでもない。

三か月暮らした町は、旅先なのか

数日の旅行なら、町は次々と新しい顔を見せてくれます。けれど、そこで生活を始めると、見えるものが変わってくる。

どこで日用品を買えるのか。雨の日に洗濯物をどうするのか。公共交通が遅れたら、どう帰るのか。言葉が十分に通じないとき、役所や病院で何を伝えればいいのか。

旅先の景色だった場所が、暮らしの場所になっていきます。

霧に包まれた静かな湖畔の風景
見慣れた景色になるまでには、時間がかかる。

三か月もいれば、特別な出来事のない日のほうが増えていく。毎日感動しているわけではない。疲れて部屋に帰り、簡単な夕食を作り、明日のことを考える。近所の道にも慣れていく。それでも、ふとした瞬間に、ここは自分が生まれ育った場所ではないのだと気づくのだ。

留学もそのひとつ。授業の内容より先に、言葉が半分もわからない教室で座っている心細さを覚える人がいます。寮の共同キッチンで、誰かの国の料理の匂いに慣れていく人がいる。学期が終わるころには、最初の週の不安がどこにあったかも忘れているかもしれない。

この時間を「旅行」と呼ぶには長いかもしれない。「移住」と呼ぶには、まだ帰る場所があるかもしれない。学びに来た人、季節の仕事をする人、しばらく別の土地で暮らしてみたい人。事情も期間も、それぞれ違う。

旅か生活かを、日数だけで線を引かなくてもいいのかもしれない。

別の場所へ行き、そこで日常をつくり、やがてその場所からも離れていく。暮らすことそのものが、旅の一部になる時間がある。

遠くへ行けば、自分が変わるのか

旅には、ときどき大きな期待がかかります。「知らなかった自分に出会える」「人生が変わる」。そんな言葉は魅力的だ。

でも実際は、場所を変えたくらいで、苦手なことが急に得意になるわけではない。出発前に抱えていた悩みを、そのまま持って行ってしまうこともある。憧れていた町で孤独を感じることも、せっかく来たのに思ったほど楽しめないこともある。

それでも、それは旅を失敗にしません。

その土地で暮らしてみて、初めてわかることがある。好きだと思っていたものが、生活としては合わなかったこと。反対に、何となく選んだ場所が、思いのほか心地よかったこと。遠くまで来ても自分は自分のままだった、という発見さえある。

秋のやわらかな雲が広がる空
どこにいても、空は変わらずそこにある。

旅がいつも人を新しくする必要はない。行ってみたからわかる「違った」という答えも、持ち帰れるもののひとつだ。

旅に出たくなるのは、遺伝子のせい?

人間は長いあいだ移動してきたのだから、どこかへ行きたくなる気持ちも遺伝子に刻まれているのではないか。そう考えるのは面白いことです。

ただ、「旅好き」を決める遺伝子が見つかっているわけではない。新しいものを求める傾向と遺伝子の関係を調べた研究はあるものの、それを一人ひとりが旅に出る理由へそのまま結びつけることはできない。

DRD4遺伝子に関する研究の統合分析新しいものを求める傾向と遺伝子の関係を調べた研究です。PubMed, 2007

人類が移動してきた歴史と、一人の人が今、旅に出たいと思う気持ちは、たぶん別の問いだ。

読んだ本、会った人、働き方、その時の年齢。あるいは、一緒に行きたい人がいること。旅への気持ちは、生きているあいだにも変わっていく。

行けないときにも、旅を思い描ける

旅には、お金と時間がいります。健康や仕事、家族の事情によって、出かけたくても難しいことがある。「旅に出ればいい」と、誰にでも気軽に言えるわけではない。

それでも、遠い町を調べることはできる。どんな道を歩き、どこに泊まり、そこで暮らすなら一か月に何が必要だろうと考えてみる。行きたい場所が具体的になるにつれて、ぼんやりした憧れに輪郭ができていく。

旅の先を思い描かせる風景
行けない日も、その先を思い描く。

想像することと、実際にそこへ行くことは同じではない。けれど、まだ出発できない時間にも、世界への入口はある。

そして旅は、帰ってからも終わりません。一緒に食べたものの話を何度もする。その土地で覚えた小さな習慣が残る。もう住んでいない町の天気を、ふと気にしてしまう。

大切な人と行った旅は、とくにそうかもしれない。行っている間はもちろん楽しいけれど、帰ってからのほうが長く楽しめる。テレビで似た景色を見ても、何か食べても、「あの時はこうだったね」「楽しかったね」「あの日、天気どうだったっけ」という話がいつまでもできる。誰かとの旅の醍醐味は、その後にずっと続く時間にあるのかもしれない。

一人でどこかへ行きたい時期もある。誰かと同じ景色を見たい時期もある。短い旅行が似合う時も、数か月暮らしてみたい時もある。

旅は移動した距離でも、訪ねた国の数でも測れません。

どこかへ行くこと。そこで生活すること。帰ってからも、その場所と少しつながっていること。

旅に出るという選択には、そのすべてが含まれている。

旅のちがう形を、もうひとつ知る——WWOOFという、もうひとつの旅

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