不安の正体は遺伝子?——何も問題がないはずなのに、なぜ不安になるの

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Woman meditating cross-legged on a rock amid colorful water ripples
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大きな問題が起きているわけではない。
今日すぐに決めなければならないこともない。それなのに、胸のあたりが落ち着かず、まだ起きていないことを何度も考えてしまう。
そんな日があります。

はっきりした理由が見当たらないのに不安になるのは、考えすぎだからでしょうか。性格の問題でしょうか。それとも、身体の中で何かが起きているのでしょうか。
そもそも不安は、心だけで起きているものではありません。

目次

不安は、まだ起きていないことに備える

夜道で、見えないところから音がしたとします。
立ち止まる。周りを見る。心拍が速くなる。身体に力が入る。危険かもしれないものへ注意が向く。

何もいなければ空振りです。それでも、この反応があったから避けられた危険も、人間の長い歴史の中にはあったはずです。
不安には、これから起こるかもしれないことを予測し、身体を備えさせる働きがあります。人間にもともと備わった反応です。

ただし、警戒が強すぎたり、長く切れなかったりすると、今度は暮らしの方が狭くなります。

国立精神・神経医療研究センターの資料では、誰にでも起こる不安と、治療や支援が必要になる不安症を、不安の強さ、続く時間、生活への支障などから分けて考えています。
不安があるか、ないかという二択ではない。どのくらい強く、どのくらい続き、眠ることや働くこと、人に会うことをどの程度妨げているかを見るということです。

心拍も、呼吸も、不安の一部になる

不安になると、心臓が速く打つ。呼吸が浅くなる。肩や顎に力が入る。汗をかく。胃腸の具合が変わる。
その身体の変化に気づいて、「何か悪いことが起きているのでは」とさらに不安になることもあります。

出来事、考え、感情、身体、行動は、別々に並んでいるわけではありません。互いに影響し合っています。
だから「考え方を変えればいい」と言われても、それだけでは届かないことがある。反対に、身体だけを整えればすべて解決するとも限りません。

眠れているか。疲れがたまっていないか。痛みはないか。食事を抜いていないか。カフェインやアルコール、薬、身体の病気が関わっていないか。仕事や家族、経済的な心配、孤立、社会の出来事はどうか。
不安は、一つの原因を見つければ終わる問題ではないようです。

「不安遺伝子」という言葉は、少し簡単すぎる

この企画を考えるきっかけの一つに、タモリさんと山中伸弥さんが出演したNHKの番組がありました。
番組では、セロトニントランスポーター遺伝子のS型が日本人に多く、それが不安の感じやすさと関係するという説明がありました。

日本を含む東アジアの集団で、5-HTTLPRのS型が高い頻度で報告されていることは事実です。ただし、集団内の遺伝子頻度と、一人ひとりの不安の感じ方は同じ話ではありません。

5-HTTLPRと不安に関係する性格傾向は長く研究されてきましたが、結果は対象者や測定方法によって異なっています。単独の遺伝子型から、その人の不安の強さを説明したり予測したりできるほど、確かな関係は示されていません。

近年の大規模な研究では、不安の遺伝的背景は、多数の遺伝的変異が少しずつ関わる複雑なものとして調べられています。そこへ経験、生活環境、身体の状態、社会的な条件も重なります。
(参考:van der Walt et al., 不安症とニューロティシズムに関するGWASの系統的レビューLevey et al., 大規模多祖先GWASによる不安症の遺伝的知見

「日本人には不安遺伝子がある」と一言で片づけると、分かりやすくはなります。でも、一人の人間が感じている不安の正体からは、かえって遠ざかってしまいます。

遺伝子が無関係というわけではありません。ただ、一つの遺伝子だけで不安の強さが決まるわけでもないのです。

不安は、心の中だけに住んでいない

不安について考え始めると、脳や心の話だけでは終わりません。
心は身体の中にあります。身体は、毎日の生活の中にあります。そして生活は、家族、仕事、お金、住んでいる場所、社会や文化の中にあります。

眠れないから不安になるのか、不安だから眠れないのか。

食べることはどこまで関係するのか。年齢を重ねると、不安は増えるのか、それとも種類が変わるのか。旅に出ると考え方が変わることがあるのに、場所を変えても不安がついてくるのはなぜか。

この先、Vayuでは不安をMindだけに置かず、Body、Foods、Journeyにもまたがるテーマとして考えていきます。

不安をなくしてから、ではなく

不安には危険へ備える働きがあります。一方で、強く長く続き、暮らしを妨げる不安には、医療や心理的な支援が役立つことがあります。
だから、不安をすべて肯定する必要も、すべて自分で抱える必要もありません。

知りたいのは、不安を完全になくす方法ではありません。
いま起きていることを少しずつ見分けること。心だけのせいにしないこと。身体だけのせいにもしないこと。必要なときには誰かの力を借りること。

不安がなくなるまで人生を止めておくのではなく、不安がある日にも、できる範囲で暮らしを続ける。
不安をなくしてから進むのではなく、不安を連れて進む。

不安の正体は一つではありません。だから、ひとつずつ見ていきます。


参考資料

お時間あれば、もう少し。

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