『バグダッド・カフェ』は、どこか不思議な映画に思える。
なぜこれほど記憶に残るのか。筋を追って説明しても、あの映画の感じにはなかなか届かない。
砂埃。乾いた空気。どこにも行き場がないような人たち。そして、あの場所には似合わないほど大きく響く「Calling You」。
映画『バグダッド・カフェ 4Kレストア』公式サイト 青い空と給水塔、砂漠の乾いた空気。映画を思い出す風景と、4Kレストア版の作品情報を見られます。 ALFAZBET / 4Kレストア版公式サイト耳の奥に残る「Calling You」
映画を観ていないときにも、あの曲はときどき耳の奥へ戻ってくる。
何年も聴いていなかったはずなのに、乾いた道や、果ての見えない空を前にすると、どこかからイントロが重なる。
Jevetta Steele — Calling You 映画の記憶と、乾いた道の風景を結ぶ一曲。作詞・作曲はBob Telson。第61回アカデミー賞の歌曲賞候補になりました。 YouTube / Jevetta Steele · Oscars参考:The 61st Academy Awards(1989)
天気が遠くに見える道
昔、ロサンゼルスに住んでいたことがある。
ロサンゼルスからラスベガスへ向かう道のことは、今もよく覚えている。
街を離れると、景色はどんどん乾いていく。
建物が減り、空が広くなり、最後には道と大地ばかりになる。遠くで降っている雨まで見えそうなくらい、何も遮るものがない。
日本では、天気はだいたい頭の上にある。
あの道では、天気がずっと向こうに見える。
手前は晴れていて、その先は暗い。もっと遠くには雨が降っているかもしれない。そんな空の下を、ひとりで延々と運転する。
ラスベガスまでの道。デスバレー。グランドキャニオン。
あとになって、もう一度アメリカへ行き、長い距離を車で走ったこともある。フラッグスタッフのあたりまで、とにかく運転した。目的地を増やすより、道を走る時間の方が長かった。
セドナは、近くまで行きながら寄らなかった。
当時は地名を聞いても、それほど気にならなかった。いま同じ道を走れば、おそらく曲がる。
旅の途中では通り過ぎた場所が、年月を経てから地図の上で浮かび上がることがある。セドナは、そうして後から気になり始めた場所になった。
アメリカという国への気持ちは、単純ではない。
政治や経済のあり方には、距離を置きたくなることが多い。それでも、あの大地には強く惹かれる。
広さ、乾き、遠くに見える天気。その感覚は、国への評価とは別のところに残っている。
スタインベックの小説にも、同じ大地がある。
広すぎる土地の中で、人がうまく生きられなかったり、みっともなかったり、それでも何とか生きていたりする。
『バグダッド・カフェ』にも、そういう、うまく説明できない人間の可笑しさがある。
きれいに整った人はいない。
どうしてこの人たちが、ここに集まっているのか。最初はよく分からない。それでも、気がつけば、その変な場所を離れがたくなっている。
Newberry SpringsのBagdad Café
Newberry SpringsのBagdad Caféにも、実際に立ち寄った。
記憶としては、立ち寄ったというより、ほとんど素通りに近い。「あ、こんなところか」と確かめて、また道が続いた。
映画の舞台を見たという実感より、乾いた土地の中にカフェが一軒ある、という方が近かった。
Route 66とNewberry SpringsのBagdad Café 映画撮影時はSidewinder Caféと呼ばれ、撮影後にBagdad Caféへ改称された場所。Historic Route 66沿いにあります。 California Historic Route 66 Association / 写真:Everjean(CC BY 2.0)カフェより、そこまでの道
カフェそのものより、そこまでの道の方が、記憶には強く残っている。
乾いた大地の中を走りながら、「Calling You」が聞こえてくる。実際に車の中で流していたのか、映画の記憶が後から音をつけたのか、それももうわからない。
道はどこまでも続いている。
空は広すぎる。
天気は、ずっと遠くまで見えている。
同じ道をもう一度走るなら、セドナにも寄る。
たぶん。
お時間あれば、もう少し。
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