終電が行ってしまったあとの、静まり返った線路。
誰もいなくなったホームの下で、作業着を着た人たちが集まり、仕事が始まります。
レールを見る。ボルトを締める。枕木や道床(バラスト)の状態を確かめ、必要なら直す。重い資材を運び、機械を動かし、決められた時間の中で次の始発が走れる状態へと戻していく。
翌朝、私たちは何事もなかったかのように電車に乗り込み、それぞれの日常へ向かいます。
けれど、その「何事もない」は、決して自然に起きているわけではありません。
誰かが夜のうちに線路を見て、触って、直して、確認している。
それを思うと、この仕事は本当に尊いと感じます。
専門性と、繰り返される手仕事
線路の保全には、確かな専門性があります。
どこまでの摩耗なら許容できるのか。どんなわずかな歪みを異常と見なすのか。今夜直すべきことと、次の作業に繋ぐべきことの見極め。安全を最優先にしながら、限られた時間枠の中で仕事を終えるには、知識と経験、そして瞬時の判断が欠かせません。
けれど、この連載で見つめたいのは、そうした高度な専門性だけではありません。
専門的な判断を下す人の横で、黙々と資材を運ぶ人がいます。
同じ動作を、夜通し何度も正確に繰り返す人がいます。
重い鉄や石を、身体全体を使って持ち上げる人がいます。
先輩の指示通りに、まずはひとつの持ち場を懸命にこなす若い作業員がいます。
それもまた、紛れもない「仕事」の姿です。
身体を使えるという、確かな力
「誰にでもできる」と簡単に言われてしまうような作業ほど、毎回ぶれずにきちんとやり続けることは案外難しいものです。
運ぶ。
置く。
締める。
確認する。
また、運ぶ。
そこには華やかなスポットライトも、拍手もありません。
けれど、その工程がひとつでも抜ければ、全体の作業は成り立たないのです。
作業着に身を包んだ若い人が、夜の線路で無心に身体を動かしている姿を見かけると、ふと胸の奥を突かれるような感覚を覚えます。
この先ずっとこの仕事を続ける人なのかもしれないし、数年経験して別の道へ進む人なのかもしれません。
けれど、どちらでもいいのだと思います。
その夜、その場所で、自分に託された役割を果たしている。
その確かな身体の時間が、翌朝のダイヤへと繋がっている。
それだけで、もう十分に尊い価値があります。
「働く姿」を、ただ静かに見つめたい
仕事について語るとき、私たちはどうしても資格やキャリア、目に見える実績や専門性の話に終始しがちです。もちろん、それらも生きていく上で大切な要素です。
けれど、自分の身体を使えることもまた、尊い力です。
- 重いものをしっかり運べること。
- 同じ所作を、正確に繰り返せること。
- 冷え込む深夜の現場に、時間通りに立つこと。
- 仲間と声を掛け合って、呼吸を合わせられること。
- 任された作業を、最後までやり遂げること。
そうした一人ひとりの身体の営みが、この社会の見えない土台を動かしています。
AIができる仕事なのか、人間にしかできない仕事なのか。
効率や合理性をめぐる議論から、この連載ではいったん少し離れてみたいと思います。
人が、そこで生きるために働いている。
その姿を、ただ敬意を持って見つめてみたい。
毎朝、何気なく乗っている電車の足元に、どれだけの人の手の跡が重なっているのか。
まずはそこを知ることから、始めてみます。
この仕事、本当に尊い。
——そんな単純な気持ちから、この連載を始めます。
【参考・夜の現場を知る記録】
連載:足元を支える手仕事
私たちの日常を静かに支えている「現場の身体と手仕事」に光を当てる連載です。第1回は、夜の線路を守る保全の仕事をお届けしました。
