ベジタリアンという言葉には、時々、思想の強さのようなものを感じることがあります。
でも実際は、もっと静かなところから始まっていることが多いのかもしれません。
「なんとなく、肉を食べなくなった」
きっかけは、それくらいのことだったりします。
目次
思想より、先に始まっていること
肉を食べると、少し重く感じる。
野菜のほうが、からだが軽い気がする。
そんな小さな感覚の積み重ねが、
気づけば食卓を変えていることがあります。
思想は、あとから
言葉になって追いついてくるものなのかもしれません。
ベジタリアンは、ひとつではないということ
肉と魚、どちらも食べない人。
肉だけ、避ける人。
卵や乳製品は、食べる人。
線引きは、人によって少しずつ違います。
だから本当は、「ベジタリアンかどうか」というよりも、
その人なりの食べ方、というだけのことなのかもしれません。
インドでは、特別なことではないという話
インドでは、ベジタリアンは珍しい存在ではありません。
ヒンドゥー教やジャイナ教の影響もあり、
肉を食べない暮らしが、地域によっては当たり前のように続いています。
それは思想というより、
生活の一部として、そこにあるもの。
食べないという、小さな自由
ベジタリアンは「食べない」という選択です。
でもそれは、禁欲でも、宣言でもなく、
選ぶ自由に、近いものかもしれません。
食べる自由があるなら、
食べない自由も、同じようにあっていい。
食べ方は、その人の景色になる
食べ方には、その人と、
動物や自然との距離感が、少しだけにじみ出ます。
でも、どちらが正しいという話ではなく、
肉を食べる人も、食べない人も、
同じ食卓を囲めたら、それでいいのだと思います。
「今日は、野菜がいいかな」
そのくらいの気分から、
何かが静かに始まることも、あるのかもしれません。
