街のあちこちに、自動販売機がある。
駅のそばに。会社の隅に。病院の待合室の近くに。人気のない夜道にもある。
海外を旅行して日本に帰ってくると、その多さにあらためて気づく。

コンビニがこれだけ身近になり、自動販売機の台数自体は以前より減っている。それでも、店を探さなくても、その場で一本の飲みものを買える機械は、今もさまざまな場所で必要とされている。
尾崎豊の『15の夜』には、「100円玉で買えるぬくもり」という一節があった。
今は残念ながら、百円玉ひとつで温かい缶コーヒーを買うことは、なかなか難しくなった。それでも夜の道に自動販売機の明かりが見えると、少しだけほっとすることがある。
最近では、硬貨を持っていなくても、カードやスマートフォンをかざして買える自動販売機も増えた。百円玉を握りしめた時代から、支払い方もずいぶん変わった。
喉が渇いたとき、硬貨を入れたり、スマートフォンをかざしたりしてボタンを押せば、冷たい水や温かいお茶が出てくる。
いつ見ても、そこに飲みものが並んでいる。
けれど、その列は自動では整わない。

小さな明かりが、街の中にある
日本で自動販売機が広がってきた歴史をたどると、機械そのものの進化だけでなく、その時代の暮らし方も見えてくる。
補充だけでは終わらない
補充をする人が車を停め、荷台から商品を降ろす。ケースを運び、扉を開け、売れた分を確かめながら一本ずつ入れていく。
売上金を回収する。釣り銭を補う。機械やその周りをきれいにする。空き缶やペットボトルを回収する。
ただ、なくなったものを足せば終わりという仕事でもない。
駅前と公園では、売れるものが違う。暑い日と寒い日でも違う。販売データやその場所の人の流れを見ながら、何をどこへ並べるかを考える。季節が変われば、冷たい飲みものと温かい飲みものを入れ替える。
一台の小さな店を、街の中で何台も受け持っているような仕事だ。
一日に、何台を巡るのだろう
会社や地域、担当するルートによって違うが、一日に15〜20件、あるいは20〜30台ほどを巡る例もあるという。
車には、これから補充するたくさんの飲みものを積む。交通や時間を考えながら順番に自動販売機を巡り、そのたびに商品を降ろし、台車で運び、補充して、また次へ向かう。
外から見れば、飲みものを入れているだけに見えるかもしれない。
けれど、決して簡単な仕事ではない。
それでも、通り過ぎる側から見えるのは、たいてい補充をしている短い時間だけだ。
台車に飲みものを積み、車と自動販売機のあいだを何度も往復する。
一本なら軽いものも、まとまれば重い。
暑い日も、寒い日もある。車を安全に停めにくい場所もある。人が行き交うところでは、通路を塞がないように気を配りながら、手を止めずに進めなければならない。
運ぶ。
開ける。
確かめる。
補う。
回収する。
拭く。
そして、次の一台へ向かう。
最初からそこにあったように
補充が終われば、扉は閉じられる。飲みものはまた、最初からそこにあったような顔で並んでいる。
誰かが手をかけた跡は、ほとんど残らない。
けれど、真夏に水を買えることも、残業の途中で温かいコーヒーを選べることも、病院で長い時間を待つ人が一本のお茶を手にできることも、その仕事の先にある。
自動販売機は機械だけれど、その便利さは機械だけでは続かない。
中身を運ぶ人がいる。
売れ方を見て、次に必要なものを考える人がいる。
散らかった空き容器を持ち帰り、次の日も使える状態に戻す人がいる。
街角で飲みものの列を整えている姿を見ると、この仕事、本当に尊いなと思う。

参考資料
連載:この仕事、本当に尊い
第2回は、自動販売機へ飲みものを補充する仕事を見つめました。

